山口の都市部といえる新山口駅から宮野駅までは被害はなく、宮野駅から地福駅までもすぐに復旧した。しかし地福駅以北は橋りょう崩落や路盤流失などの被害が集中。11月16日に津和野駅から益田駅までは復旧する見通しだが、地福駅から津和野駅までの約19キロの区間は復旧のめどすら立っていない。
10月19日、機会があり当地を訪れたので被害と復旧工事の状況をレポートする。
私の採ったルートは次の通り。
まず、JR山口線の普通列車で地福駅に降り、そこから代行バスで津和野駅へ。そのあと津和野バスセンターから東萩駅行きの路線バスで来た道を戻り、途中の鍋倉バス停で下車。鍋倉から地福駅までを歩き、両駅周辺に集中した被害の状況をカメラにおさめた。
●地福駅
また地福駅の駅舎自体は木造の趣あるもので、こちらも宮野駅や篠目駅に似ている。
●代行バス
代行バスは駅前広場が狭いために駅のすぐ前には入らず、50メートルほど離れた道沿いに停車する。駅員や車掌が案内するため乗り場に迷うことはない。バスは路線バスタイプのものと高速バスタイプのものの2種類が充当されていて、いずれも中国ジェイアールバスのもの。路線バスタイプには広島都市圏のICカード「パスピー」のカードリーダーが取り付けられていたので、同社山口支社だけでなく広島からも応援が来ているようだ。
もちろん支払いにパスピーなどICカードを使うことはできず、現金かきっぷで支払う。津和野駅で降りる場合はバスを下車したあとに係員にきっぷなどを手渡すが、途中駅で降りる場合は通常の路線バスと同じように運転士横の運賃箱に投入する。
写真は船平山駅の代行バス停車場所。防長バスの「亀山」バス停がそれに当てられていて、本来の駅からはずいぶんと離れている。ここまで離れているのは地福駅から津和野駅の間では当地のみ。ほかはおおむね駅に近い国道9号沿いに停車し、徳佐駅と津和野駅は駅前まで乗り入れる。
●津和野駅
列車の往来がないものの、津和野駅のキオスクや立ち食いうどんは通常営業していた。みどりの窓口も営業している。代行バスの案内や運賃の受け取り要員として駅員が駅前に立っていて、時刻の案内もしてくれる。
津和野の街並みにもいくつか豪雨の爪痕があり、とくに太鼓谷稲成神社周辺の護岸が崩れ、応急的な処置がされていたのは痛々しかった。ただ街自体は元気。観光で街を巡るには何ら障害はないし、実際に多くの観光客が訪れていた。早くも銀杏並木は色づき始めていて、これから急速に秋の装いへと変化していくのだろう。楽しみだ。
●鍋倉へ
こちらの路線バスで鍋倉へと向かう。1日5本の吉部経由東萩駅行きで、東萩まで行けば2千円ほどかかる。徳佐駅付近で車窓が開けるが、山のいたるところに土砂崩れの跡があった。これらが濁流となり鉄道や道路に襲いかかったのだろうか。幅数十メートル、高さ100メートルほどの大規模な崩落はいくつも見ることになった。
少しだけ藪を漕いで線路にまで出てみると案の定線路はさび付き、植物が覆い始めていた。写真は津和野駅方向を捉えたもので、こちら側はまだ幾分かは列車が来そうな気配はあった。
そしてこちらが地福、山口駅方向。線路は撤去されていた。
ここには築堤があったと思われるが文字通り根こそぎ濁流に洗われてしまった。線路、枕木などの撤去は済み、測量をしたあとと思われる杭もあるが、再び路盤を作るための工事は未着手のようだ。
路盤の流失は100メートルほどに及び、途中にある踏切で路盤は復活する。踏切から津和野方は無惨な姿だ。また路盤が復活していても鍋倉駅方向の線路もはがされていた。
路盤流失箇所を迂回して鍋倉駅へと向かい、駅の入口で振り返ったものがこの写真だ。
JR山口線は第6阿武川橋りょうで阿武川本流を渡っていたのだが、痕跡を探すのさえ難しいほどに橋は流されてしまっていた。左岸(写真奥、津和野寄り)の橋台はあるが、手前に到っては橋台もない。
整地はされているものの、本格的な復旧工事に入るのはずいぶんと先になるかもしれない。落橋のリスクは濁流に晒される橋脚の数だけ高いと言えるし、もし今回の水害によって河床が上がっていれば浚せつするか橋が水に触れないような位置にまで嵩上げする必要がある。さまざまなシミュレーションで復旧橋を描くだろうから年単位の工事になるのは避けられないと想像する。
鍋倉駅は単線ホームと簡素な待合室があるだけの駅。しかし待合室は地元の人だろうか、きちんと掃除をしてくれていて、座って休んでもほこりっぽくなかった。小さな駅でも愛されているんだなと思った。心の通ったものに触れると、どんな困難があっても必ず復旧して欲しいなと願う気持ちを新たにした。
●道路にも痕跡
鍋倉駅前から国道9号へと接続する道には「通行止 この先通り抜け出来ません」の看板が置かれていた。その理由はすぐに明らかになる。市道の鍋倉橋は欄干に植物が引っかかっていることからもずいぶんと高いところにまで水が来たのだと想像させる。これを見て私は橋そのものの強度に問題が生じたのではないかと思ったが、少し下流に下って振り返って「通行止」の正体が分かった。左岸の橋への取り付き部分が流されてしまっているのだ。こちらも復旧には時間を要しそうだ。
そこからさらに下流方向に目線を移すと写真では分かりにくいがJR山口線の第5阿武川橋りょうと、そこに至る築堤も無事ではなかった。
●ちょっと脇道にそれて...
このあと私は山口県道311号篠目徳佐下線を3キロほど歩き、名もなき?小さな峠を越えて旧地福村域内へと入っていくが、いくつかの小さい秋を見つけたのでちょっとだけ本題から逸れるが写真だけでも載せておこうと思う。
この角を左に曲がって地福駅へとアプローチする。
両岸の橋台、橋脚ともに原形をとどめず、やはり再開には相当の時間が必要だろう。
復旧工事現場から地福駅寄りは築堤、線路ともに損傷はないようで、藪を刈り払えば使える状態になりそうだ。
写真奥の黄色い列車があるのが地福駅で、その手前(津和野寄り)にある信号機は点灯していた。
帰りの列車、15時11分発の山口駅行きはキハ47の2両編成。観光客や高校生などを乗せて、そこそこの乗車率で地福駅を発車した。
以上が、被害の集中した区間のレポート。これらのほかに船平山駅-津和野駅間では法面崩壊も起きている。
●復旧への道のり
山口県は同じように被災した山陰線を含め1年2カ月での復旧をJR西日本に要望している。山本繁太郎知事は9月10日の定例会見で「JR西日本と全面的な協力関係に立って復旧していく。河川改修が事業の柱」と話し、県、国、JRとの適切な事業分担と“志を同じくすること”が重要だと強調。「そのいずれについても支障があるとは考えていない」とも述べて復旧を成し遂げる構えだ。
しかし工事そのものもメーンの渡河部分には手つかず。産経新聞の報道によれば「被害が甚大だった山陰線須佐(萩市)-奈古(山口県阿武町)間の約20キロと、山口線地福-津和野間の約19キロの復旧のめどは立って」いない。
山陽と山陰を結ぶ重要路線であり、沿線に有数の観光地や主要都市もある山口線。復旧することに疑いを挟む余地はないが、時間がかかることだけは覚悟しなければならない。朗報といえば、中国ジェイアールバスが津和野駅-益田駅間が復旧する11月16日にあわせて、交通結節点の新山口駅と津和野駅までをダイレクトに結ぶシャトルバスを開設することだ。臨機応変な対応ができるバス事業者とも連携しながら、復旧するまでのしばらくの間、知恵を絞っていくしかないだろう。山口線と観光振興の結びつきがどのくらいの固さなのかを良くも悪くも計る機会になるかもしれない。