今回は思い出の数々を、ポケット全国時刻表2004年1月号(最終号)とともに振り返っていく。
まず、前置きとなるが、「なくなった」という意味でのできごとは、次の3つに大別できると思う。
・路線の廃止
・駅の廃止
・列車の廃止
それぞれ順に見ていこう。
最初の、路線の廃止(廃線)というのはもう元も子もないというものであり、残念というほかない。
島原外港駅から加津佐方向を撮影 (2012年1月) |
ただ、交通案内社のポケット全国時刻表最終号の発行月、2004年1月の段階で全国のほとんどのローカル線(いわゆる国鉄赤字83線など)は廃止や第三セクターへの移管が終わっており、この10年で驚くような廃止というのはほとんど起きていない。
とはいうものの、第三セクターに移管して延命したはずの路線が、やはり廃止になるケースも起き、地方ローカル線の難しさを浮き彫りにした10年でもあった。
能登線には「恋路」駅があった
「小木」の注印は「九十九湾小木」という
長い駅名が収まらなかったためのもの
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一方で、2004年の九州新幹線の部分開業にともなって新たに第三セクターに移行した鹿児島本線・肥薩おれんじ鉄道の八代-川内間や2006年にLRTに移管した富山港線全線は、ローカル線の厳しい状況の中で、新たな道へと歩み出した鉄路だ。
10年の変化を凝縮したようなエリア。のと鉄道七尾線はこのときすでに穴水-輪島が部分廃止(2001年)されていた。神岡鉄道は全線廃止、JR富山港線はLRTに生まれ変わった |
北海道ちほく高原鉄道は第三セクターに移管しても便数は少なく、赤字だったろうことは容易に想像できる。「銀河」の愛称が付けられた快速もあった。同じ「銀河」の名前が付い寝台急行(東京-大阪)も廃止されたのは偶然の一致か、運命か |
上りは7時2分発 |
只見線の田子倉駅は雪の降らない時期のみ列車が停まっていた駅で、いわゆる秘境駅の一つだった。
田子倉駅は福島県の新潟県境寄りにあった |
ただ、多くの廃線や廃駅は人口の少ないエリアで発生したため、ネットワークの欠ける残念さ無念さは相当にあっても、沿線住民を除けば「痛み」を伴うものではなかった。
しかし、既存の路線で、旅行時の手段として当然あるべきだった「列車」がなくなったというのは、何とも形容しがたい痛みを伴うものであった。
八重垣や九州は夏休みや冬休みに
運行されていた臨時列車。
現在は全く運転されていない
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この列車は「快速」のため、「青春18きっぷ」(+指定席券)で乗ることができ、学生のボンビー旅行はもちろん、社会人のボンビー旅行にもぴったり。特急用車両を使っていて乗り心地も良く、私も何度もお世話になった。
人気の列車であり指定席を取れないこともあったが、救済策も用意されていて、多客期はボックス席車両(165・167系)を使った臨時続行列車が運転されていた。私も2003年の冬、「ムーンライトながら」の指定席を取れず、この救済列車に乗車。冬なのに妙に暑いボックス席で、ほとんど眠れずに車窓に流れる景色を眺めていた。
指定席を取れるかどうかで天と地の差だが、今から考えればあるだけでも良かったのだ…。現在は長期休暇中のごく一部の運行だけになり、続行列車もなくなった。
ちなみに、北九州や山口から朝5時~6時頃の列車で出発すると、大垣駅には22時頃には着くので、(2004年1月号では)23時19分発の「ムーンライトながら」に急がずに乗り込むことができた。地方から東京に出向く際に、これほど安上がりの手段もなかった。もっとも現在は高速バスのほうが安いかもしれない。
上りの「ムーンライトながら」。東京着は4時42分で、続行便も含め早朝に到着する。都内で用があるときは品川から山手線の始発で渋谷に行き、ぼけーっと時間を過ごしたあとスタバが開いたら入って朝の通りを眺めていた(笑) |
そして、ブルートレインも相次いで廃止されていった。
2005年に「さくら」「あさかぜ」「彗星」、2006年に「出雲」、2008年に「なは」「あかつき」「銀河(寝台急行)」、2009年に「はやぶさ」「富士」、2010年に「北陸」・・・と名だたる列車が廃止となり、「あけぼの」と「北斗星」も将来的な廃止が示唆されている。
2004年1月はまだブルートレインが、朝の通勤列車の邪魔だと言われながらも、自慢げにヘッドマークを付けて闊歩していた時代だった。
東海道本線の上り、始発時間帯のページには「ムーンライトながら」「寝台急行・銀河」「寝台特急・出雲」が並んでいた。ここにある列車で2013年末の今も走っているのは、客車特急ではない「サンライズ瀬戸・出雲」のみ |
明け方の山陽路を駆け抜けた。列車番号は下り列車は富士が「1」、さくら・はやぶさが「3」、あさかぜが「5」。その番号からも名実ともに優等列車だったことが分かる |
九州で最後にブルートレインを見たのは2009年の初めだった。宇佐神宮(大分県宇佐市)での初詣の帰り、宇佐駅で電車を待っていると短い編成の東京行きの「富士」が入ってきた。
当時の「富士」は途中の門司で、熊本発の「はやぶさ」に連結して長大編成になるが、その前の区間はわずかに6両編成。拍子抜けするほどの短さに「これがブルートレインの今の姿なのか…」と悲しい心持ちになったのを覚えている。その数ヶ月後、「富士」は「はやぶさ」とともに廃止された。
上の画像の時代、つまり2004年時点では他のブルートレインと併結されることもなく、単体で東京まで運行されていた。編成も10両を下回ることはなかったと思うが、2009年の最晩年の「富士」に在りし日の威光を見ることはできず、やりきれないものを感じながら古びた列車を見送った。
もちろん、誰よりも悔しいのは、明治時代からの歴史を背負ってきた「富士」自身であったろう。
ブルートレインや夜行快速。こうした特徴的な列車のほかにも、この10年の間には比較的近距離の特急列車や普通列車もその一部が定期運用から離脱していった。次回はそうした列車を北部九州・山口地区を中心にみていくことにする。
(次回につづく)